- 景徳院へ出没した経緯
- 景徳院へのアクセス・駐車場・境内案に図・トイレについて
- 景徳院の本堂・お堂の様子について
- 武田勝頼自害の地「生害石」について
- 景徳院の没頭地蔵の様子について
- 心霊スポット!?姫ヶ淵・鳥居畑古戦場・栖雲寺について
- まとめ
景徳院へ出没した経緯
若い頃から日本の歴史が好きで、色々な本を読んでは妄想を繰り返すチョット怪しげな少年だったのですが、加齢に伴い段々と貫禄も付き、今では「完璧怪しいおじさん」に昇格することが出来ました。
若い頃からウロウロするのが好きだったのですが、時間はアレでお金はなく、そんな時は歴史の本を読んでムラムラするのがいつもの日常でした。
そんな歴史好きな私なのですが、妙に気になる人物の一人に挙げることが出来るのが「武田勝頼(たけだかつより)」になります。
数年前の大河ドラマにも武田勝頼は登場したのですが、知っているようで知らない歴史上の人物の一人になるかな~と思っております。
武田勝頼について簡単に書きますと、武田信玄亡き後を継いだ方になるのですが、内政等の失敗により(新しい居城の建築等)、重要拠点を守っていた家臣が裏切り、それにより織田信長に滅ぼされてしまいました。
武田勝頼についてあまりにも簡単に纏めすぎた感がありますが、家を滅ぼしてしまった点だけを見ると「ボンボン」といったダークなイメージがついてしまいますが、実際は武勇にも素晴らしく、中々の切れ者だったというのが私の印象です。
そんな武田勝頼が最期を遂げた場所が景徳院になります。
家臣の裏切りが続き、もう駄目だと悟った勝頼は、先祖ゆかりの地である天目山棲雲寺を最後の地として目指したものの、土着の武士の妨害もあって途中で見つかってしまい、景徳院周辺で人生を終えました。
棲雲寺は、景徳院からかなり近い場所だっただけに本人も無念だったと思うのですが、実は景徳院は、武田勝頼が自刃した時にはありませんでした。
武田勝頼の供養をするため、徳川家康によって建立されたのが景徳院になります。
そんな景徳院ですが、近くの田野の湯(日帰り温泉)と絡めて出没したもので、その時の様子について今回は書いてみたいと思います!
景徳院へのアクセス・駐車場・境内案に図・トイレについて
こちらが今回出没した景徳院周辺も地図になります!
景徳院周辺には、武田勝頼の最後に絡んだ場所がいくつかあります。
特に有名なのが「鳥居畑古戦場跡」や「姫ヶ淵」になるのですが、そちらにつても後述したいともいます!
鳥居畑古戦場跡、姫ヶ淵も景徳院の近くにありますので、一緒に訪れてみるのもアリかと思います!
そんな景徳院ですが、アクセスは車やバイクが現実的になります。
JR甲斐大和駅からバスが出ていますので、そちらを使てアクセスすることも可能です。
本数こそ少ないですが、バスが出ているのはありがたいですよね。
バスでアクセスする場合は、「景徳院前バス停」が下車停留所になります。
また、景徳院の駐車場ですが、かなり広いので満車で駐車が出来ないことはなさそうです。
景徳院入口付近に広い無料駐車場がありまして、そちらに駐車する事をおすすめします。
景徳院の本堂近くにも狭い駐車場があるのですが、かなり狭いので、時期によっては利用できないかもしれません。
本堂近くの小さな駐車場は、お墓参り用になるかもしれませんので、入口付近がベターだと思います。
そしてこちらが景徳院の境内案内図になります。
案内図の通り、景徳院は結構広い敷地になってまして、本堂まで地味に登ります。
足腰が弱い方にとっては、辛い道のりだと思いますので、出来たら本堂近くの駐車場に停めた方が無難です。
また、武田勝頼が自刃した場所は、景徳院本堂から少し離れた所にありますので、その点注意になります。
トイレが近い方にとっては生命線?ともいえるトイレですが、景徳院の境内にも設置されております。
境内に2ヶ所くらいトイレがあったような記憶が残っております。
とても綺麗なトイレですので、安心して利用することが出来ました。
トイレの近くにある社務所?になります。
なんだかお城のような社務所ですよね!
宝物館も兼ねているようで、色々と展示物があるみたいですが、私が訪れた時は閉まっておりました。
景徳院はお寺ですので、多くのお墓が設置されております。
お墓詣り用に水場もありますので、境内の散策で喉が渇いた時にも重宝すると思います。
景徳院は、観光地というよりは、先祖を供養するお寺になりますので、その点わきまえてウロウロしないといけませんよね。
景徳院の本堂・お堂の様子について
こちらが景徳院の本堂になります!
境内案内図のとおり、景徳院は非常に敷地が広いです。
非常に立派な景徳院の本堂になります!
徳川家康の本気度が窺えまますよね!!
敵対する相手に敬意を表する度量の広さが天下統一の下地になっていたのかもしれませんよね。
徳川家康も、武田家の猛攻に手を焼き、だいぶ辛酸を嘗めてきましたからね~
こちらが景徳院のお堂になります。
非常に豪華なお堂になってまして、驚いてしまいました。
いや~だいぶお金が掛かっております。
お勤めが終わった後みたいで、静寂に包まれておりました。
非常に見難いですが、こちらの肖像画が武田勝頼公になります。
景徳院の敷地で自害した時の年齢は37歳になります。
若すぎる死ですよね~
思わずこちらで合掌いたしました。
武田勝頼自害の地「生害石」について
こちらが志半ばで散った武田勝頼自害の地である「生害石」になります。
直ぐ近くに妻である「北条夫人」、と嫡男の信勝も自害した場所があります。
この場所が武田家滅亡の地になりますので、色々と思いに耽ってしまいました。
歴史好き、武田家好きのファンにとっては、なんとも寂しい場所であるのが景徳院の生害石ですよね。
こちらが北条夫人の生害石になります。
最後まで夫と行動を共にしたことに敬意を表します。
良いお嫁さんですよね。
ただ、死んでしまうにはあまりにも若く、その点残念です。
歴史にifは厳禁ですが、上手くやれば、もしかしたら北条夫人だけは助かった可能性があるのではないか?と思ってしまいました。
生害石の近くにあるお堂になります。
武田勝頼、北条夫人に寄り添うような場所にあります。
景徳院の没頭地蔵の様子について
こちらが景徳院の没頭地蔵の様子になります。
少し急な階段の上に没頭地蔵があります。
こちらに武田勝頼、息子の信勝、妻の北条夫人の亡き骸が埋められたといわれております。
この時武田勝頼は37歳、息子の信勝は16歳、妻の北条夫人は19歳になります。
家臣を始め、信頼していた同族・親族の度重なる裏切りにあった武田勝頼ですが、その無念は凄いものがありますよね。
北条夫人は、名前の通り相模の国を治める北条家にルーツを持つ方になります。
織田信長、徳川家康と一緒に北条家も武田家攻めに参加していたのですが、血縁がありますので、上手くやれば命だけは助かったのでは?と思ってしまいます。
景徳院に辿り着いた時、武田勝頼につき従っていたものは50人に満たないほど減ってしまっていたそうです。
最後まで付き従った家来も景徳院にお墓があったりします。
ここまで裏切りが絶えなかったのには訳がありまして、血統からすると「武田家」というよりは「諏訪家」の人間になります。
詳しく書くとモリモリになってしまうのでアレですが、この血筋が武田家を1枚岩に出来なかった根っこになるのかな~と思っております。
勝ち目のない戦にもかかわらず、最後まで抵抗したのも諏訪衆になりまして、とくに有名なのが高遠城の攻防戦になります。
一矢報いた形になったのが唯一の救いですが、栄光から転落は本当にあっという間であることが良く分かる出来事が武田家の終焉だよな~と感じております。
景徳院の入口にあります案内になります。
生害石や、建立された経緯など分かりやすく解説されておりました。
心霊スポット!?姫ヶ淵・鳥居畑古戦場・栖雲寺について
こちらの石板は、姫ヶ淵にあるものになるのですが、なんだか隠れキリシタンを描いているような感じですよね。
こちらの姫ヶ淵で、北条夫人に付き従っていた侍女16人が川(日川)に身を投げて自害した場所になります。
日川は阿鼻叫喚な世界になったそうで、想像するだけも恐ろしいです。
相手が織田信長(正確には嫡男織田信忠) ですので、女子供だけ見逃してくれることは期待できませんからね~・・・。
殺されてしまう運命ならば、自分から命を絶つのも賢明だったのかも知れませんよね。
そんな曰く付きの場所になる姫ヶ淵ですが、残念ながら調べてみると心霊スポットの1つとして地元では囁かれているそうです。
霊が集まりやすい場所として有名なのが「水辺」になりますが、自害した場所が川ですし、とても最後が可哀想な結末なだけに、そんな心霊の噂話が出てきたのかも知れませんよね。
私は霊感が強くないのですが、見える方には見えるところになるそうです。
戦国という時代なだけに本人たちも納得している部分があるのかも知れませんが、それでも無念な最後になりますので、そんな思いが留まっている可能性もないとはいえませんよね。
また、姫ヶ淵の近くには、鳥居畑古戦場もありまして、追手である滝川一益ら4、000の敵兵から主君の最後の時を稼ぐために少ない人数で奮戦した場所になります。
4,000対約50人(侍女を除けば30人もいないはず)の戦いですので、絶望しかないですよね。
勝ち目のない戦いにもかかわらず、最後の最後まで裏切らず戦い抜いたこの家臣たちこそ、本当の「武士(もののふ)」であると思います。
現代社会でも、直ぐに逃げ出したり責任転嫁する輩が多いですが、亡くなった忠臣達の爪の赤を煎じて腹を壊して欲しい!そんな感じでございます。
また、上記の景徳院周辺の地図の通り、武田勝頼が最後の地として目指した栖雲寺は結構近くになります。
距離にして10km前後になるのですが、栖雲寺は標高1,000m近くの高所にある、武田氏とゆかり深い寺になります。
栖雲寺境内には、必勝祈願をした摩利支天が祀られていたりと、歴代の武田家の当主が祈願に訪れたお寺になります。
武田家先祖のお墓がある栖雲寺ですので、当代で滅亡に追いやった罪の懺悔と、自分の最後をご先祖様に見届けて欲しいといった願いがあったのかも知れませんよね。
時があれば、栖雲寺まで逃げ込めたでしょうし、追って次第では大菩薩嶺の山並みに沿って八ヶ岳まで行けれますので、運があれば真田家の居城がある上田まで逃れることが出来たかもしれませんよね。
小山田氏の裏切りが武田勝頼の運命がほぼ決まってしまった感じですが、親戚・縁者といえ全てを信じて行動するのはリスクが伴う好例だと思います。
切羽詰まると本性を現すのが人間の性ですよね。
まとめ
武田信玄があまりにも有名になってしまい、その陰で隠れてしまっている武田勝頼ですが、歴史好きにとっては一回は行ってみたい地であるのが景徳院だと思います。
国道20号線沿線に「景徳院」の案内もありますし、距離もそれほど離れてませんので、何かのついでに立ち寄ってみるのも大いにありだと思います!
景徳院周辺は、桜も綺麗ですし、紅葉の名所として有名な竜門狭もありますので、一緒にウロウロしてみるのもおすすめです!
とても静かで荘厳なお寺である景徳院で、中々良い時間を過ごせて楽しかったです。
とても癒される空間ですので、神社仏閣巡りが好きな方は、ぜひ足を運んでみて下さい!
景徳院の近くにあります紅葉の名所である竜門峡について書いた記事になります!
新緑の時期も素晴らしいので、景徳院と併せて竜門峡の方にも訪れてみて下さい!